10日間にわたる旅行も後編をもって終わりとなってしまいました。
夕張の畑作地帯にある夕張フォレストYHで朝を迎えると、12月27日です。
ユースの方に沼ノ沢駅まで送迎して頂き、夕張支線に乗車します。およそ20分、夕張駅に到着です。
夕張は1960年代に石狩炭田の中心として栄えた町ですが、エネルギー政策の転換のあおりを受けて、炭鉱が次々と閉鎖したという過去を背負っています。肥大化した行政施設や空洞化する雇用などで2013年には人口を1万人を割っています。2007年には財政再建団体に唯一指定され、事実上財政破綻した状態となっています。
夕張の町は多くの雪が積り、人も疎らで地方都市の惨状を覗いたかのようでした。
しかし、夕張に住み続ける人は決して現状に絶望はしていませんでした。細々と赤字を返済し、観光業に期待を寄せているようです。
駅の観光案内所で出会った人は都会の人以上に明るく、夕張メロンパンを御馳走してくださいました。
黄色いハンカチで見送りをしてもらった後、追分・苫小牧を経由して白老に向かいます。
白老はアイヌのまちとして知られ、ポロ ト コタン(アイヌ民族博物館=大きい・湖・集落)がアイヌ文化の発信地として存立しています。大きなコタンコロクル(村の長)がお出迎えしてくれます。
夕暮れのコタンの中のチセ(家)でアイヌの民族舞踊を伺います。たった一人のために最も重要な儀式のイヨマンテ(熊を神の国に送り返す儀式)を演じてくださいました。他にも古式楽器を演奏して下さり大満足です。
閉館の時間となり来館者の人に話しかけられ、駅まで戻ります。その方はなんとトワイライトエクスプレスに往復A寝台ロイヤルに乗って広島県から来たということで思わぬ出会いに驚きました。
白老から室蘭線で東室蘭を経由して、室蘭支線の輪西という駅で下車します。
駅で旅行者の一人と出会い、室蘭YHまで向かいます。駅からユースまでは20分ほど暗い夜道を歩く予定でしたので、非常に安心しました。
室蘭YHは支笏湖YHなどの設計を手掛けた建築家の田上義也によるものです。高台に位置するユースからは室蘭市街の夜景が一望できました。
旅行者の方と弁当を食べ、就寝します。なんとその方北海道に20回以上行かれているそうで、驚きです。
朝を迎えると12月28日です。ユースを出て、駅に向かいます。昨晩とは違って明るい道を下ります。
輪西から789系で運用される普通列車に乗車します。
室蘭支線は最後まで乗車していなかった区間で、室蘭駅に到着し、JR北海道の全線完乗を果たします。
室蘭から折返して母恋駅に向かいます。その字面の美しさから母の日の贈り物として入場券が人気のようです。
昨晩、室蘭での観光地として勧められた地球岬におよそ3km、歩いて向かいます。
「北海道の自然100選」で第一位に選ばれたこともある地球岬は海を一望でき、渡島半島まで見える開放的な地であり、襟裳とはまた違った感動を与えてくれました。
母恋に戻り、隣の御崎駅で下車します。これで、室蘭支線の全駅下車を果たしました。
御崎はかつて有人駅だったそうで、待合室の中にそのような面影が見られました。
御崎から東室蘭・長万部を経由して函館線に乗車します。車内は大きい荷物を持った旅行者で混み合います。
大沼の一駅手前の池田園駅で下車します。
池田園の駅から歩いてすぐのところにある大沼公園YHは鉄道好きなオーナーのいる鉄道ファンにとっては最高の居所です。
特に音鉄だということで、「4号車の5号車寄り」にも関係するような、関東のVVVFインバータの話で盛り上がりました。
また、大沼駅での貨物列車脱線事故の話も様々に教えていただき、大変参考になりました。鉄道ファンにはぜひ訪れてほしい場所の一つです。
翌日、北海道最後の日となる12月29日。
池田園から函館線で渡島大野まで向かいます。
(旧)大野町の中心駅である渡島大野は北海道新幹線の新函館北斗駅となる駅です。15年以上も北海道新幹線の終着駅となる新函館北斗駅ですが、札幌への速達性を鑑み、函館市ではなく北斗市に造られています。
立地や駅名などすべてが妥協の産物であるという印象を受け、巨大な新駅舎と無人の駅前の対比は奇妙な感覚に陥らせます。
ちょうど1年前にも知内とあわせてこの駅に来ていたのですが、在来線の電化工事が進み、新駅舎はさらに大きなものとなっていました。
北陸新幹線上越妙高駅となる脇野田や北海道新幹線奥津軽いまべつ駅となる津軽今別でも感じた巨大な新幹線駅に対する違和感は、さらに顕著なものとなりました。
北海道を代表する観光地の一つの五稜郭には多くの観光客がおり、活気を感じることが出来ました。
函館のハンバーガー屋として地元に根付いているラッキーピエロでハンバーガーをガラナとともに食します。美味しい!
日本最古のコンクリート電柱や金森赤レンガ倉庫といった観光名所をぶらぶらと巡ります。
この辺りは北海道で最初に来た場所として強く印象に残っており、函館は個人的に最も好きな場所の一つです。
特急列車の発車時に流れるメロディ「旅立ちの鐘」を聞き、北海道ももうすぐ終わりだということが意識されます。
函館からは江差線に木古内まで乗車します。
1年前は大盛況だった木古内も今日は閑散としています。1年前と同じ若い駅員から特急券を買い、「スーパー白鳥」で青森まで飛びます。
さらに、青森から奥羽線でハチ公の生誕の地、大館まで行きます。
大館は中心市街地が東大館駅の近くにあり、大館駅の周辺には旅館が少ないのですが、運よく駅至近の「山田旅館」に泊ることが出来ました。
女将が非常に応対が親切で、人間の温かみを感じられるような素晴らしい宿でした。大館は18きっぱーの要所でもあるので、またいつか山田旅館にお世話になることがあるかもしれません。
旅行も最終日、12月30日。
女将にドーナツを頂き、大館駅まで向かいます。思えばこの旅行も出会った方々の支えでなんとかやって来れたのだと実感しています。
大館から花輪線で盛岡まで向かいます。
盛岡からは485系「ジパング」のジパング平泉号で一ノ関まで行きます。
ジョイフルトレインのジパングは自由席も設定されており、車内は国鉄型特急そのものです。
また、JR最後のキハ58系である「Kenji」も停車しておりました。
一ノ関からはひたすら9時間強も東北路を上り、家路につきました。
8泊10日の北海道旅行、これにて完結です!
長文読んで下さり、どうも有り難うございました。